誰かのM3デビューを少しだけ明るくしたかもしれないというだけの話。
僕のサークルである闇鍋庵は今回新譜を出さなかった。
サークル主である僕に作曲意欲といえるものがほとんど湧いていなかった、というのが主たる原因である。
作曲意欲が湧いていなかったといえば嘘なのだけれど、僕はこの一ヶ月ほど、新しく買ったギターを弾くのに夢中で、このギターが上手くなったら作りたい曲がある、というモチベーションしかなかった。
かくして、一年ぶりのM3に新譜なしでサークル参加することになったわけである。
旧譜といえるものを机に並べる。
いや、そんなものはほとんどない。
ここ数年、すっかりマスコット扱いしづらくなった(と思っていた)けふぃーの代わりに、おつまみ本を出すのが僕の楽しみになっていたからである。
およそM3には似つかわしくない、シリーズでもう3まで出ているおつまみ本を平積みする。
積まれているCDはおつまみ本3のおまけと、BPM175縛りのCDだけである。
大した数捌けないというのは分かっている。新しいものを作らない人間に「捌けない」とぼやく資格はない。
それでも、それとなく僕のブースを見ていく人から目を45度上にそらしながら、「どうぞ~」という声にもならない声をかける。
だいたいの人間はそれで足を早める。僕のサークルが悪い意味で「気になって」いただけで、僕の本がほしいわけではないからだ。
それでも、5時間も座っていると、その声につられる不思議な人間もいる。
今日来た女性がそうだった。
僕のブースの前ににじり寄ってくると、おつまみ本のシリーズ1(2017年初頒布)がほしい、と言い出したのだ。
これはただ事ではない。こちとらコンビニつまみ本である。
楽しくつまみを食っている成人男性が好きという趣味がこの世にあれど、その1だけを買っていく、というのは変わっている。
何より、その場で立ち読みすればほしいかどうかはわかるからである。
そこで僕はその人に尋ねた。
「失礼ですが、うちのサークルを知って来てくださったのですか?」
その人が言うには、闇鍋庵など知らない、たまたま通りがかっただけだという。
尚更おかしい。ここは音楽系同人イベントM3である。
そこで本に惹かれ、1だけを買おうとするなんてとても変わっている。
そこで僕は更に話を聞く。
その人は友人に連れられてM3に初めて来たこと、他のオンリー同人イベントには行ったことがあるものの、CDというのはとても手に取りづらく困っていた、という話であった。
無理もない。その場でめくれば試し読みが出来る多くの同人イベントとは違い、CDを見かけだけで買うというのはいささかギャンブル性が高い。
多くのサークルが視聴を用意してはいるものの、ただでさえこのコロナ禍、そして女性である。
よくわからんおっさんが持ってきたヘッドホンを忌避するというのも無理はない。
僕だってタワレコの試聴機のCD-900STのイヤーパッドがペラペラになっていたら嫌な気持ちになる。
ともかくそういうことで、慣れ親しんだ本という形の物体を並べていたうちのサークルを見つけ、寄ってくれたというわけなのであった。
そういう話であれば僕にも用意がある。全ての頒布物を一部ずつ重ね、「1000円で良いですよ」と言った。
もちろんすべて合わせれば2000円、セットで割引していたとしても1500円なのだけれど、僕はその人に本を手にとってもらえたことが嬉しかったし、ついでにとても買いづらいCDも1枚でも多く持って帰ってもらいたかったのである。
その時、その人が本当はどう思っていたかどうかはわからない。
ただ、僕はその人がいてくれたことで「本を頒布している変なサークル」であった闇鍋庵が、そこにあるだけで良いのだと思えたのである。
新譜が出せなくても、本すら書けなくても。
CDの海に漂う、変な本を作っている小さなサークルが一人の人を安心させたのならば、これほど嬉しいことはない。
まあでも次回はちゃんとなんか…なんか作ります。