絵合わせでないところの麻雀というゲームについての妄言。
何年かに一度、麻雀ブームが来る。
それは単なる気まぐれであったり、またはVtuberという存在の流行であったりするのだが、基本的には「友人が誘ってくれるからやる」というたぐいのゲームだ。
その範疇にあるうちは、麻雀には「読み」と言われる技術は必要がない。
身内でワイワイカジュアルにプレイしている間、このゲームの本質は「運ですげえ絵を揃えるゲーム」になることができるからである。
しかし、それが見知らぬ人間とやるゲームになった途端どうだろうか。
他人がどれだけすげえ絵を揃えようが面白くもなんともない。
このゲームで、俺は勝たなければ面白くなくなるのである。
この麻雀というゲームは、MTGのような「負けなければ勝つ」ゲームとは違う。
5マナテフェリーの奥義でいくらパーマネントを追放して一人の勝ち手段を根絶やしにしようと、他のやつが勝ったら負けなのである。
つまり、このゲームには(世に蔓延る9割のカスみたいな青白コンと違って)勝つ努力をする必要がある。
したがって、このゲームにおいて勝ちを求める手段はこういうことになる。
・アガる努力をする
アガらなければいつか誰かにツモられる日が来る。それは今日かもしれないし、お前にかもしれない。したがってアガらなければならない。しかしこのゲームにおける「ツモアガリ」は、無作為にツモ切りを行うならば「ロンアガリ」の1/3の確率でしか起こらない事象である。
したがって、ロンしやすい手牌を作ることが肝心になる。
ロンされにくい手牌とはなんだろうか。
・河が索子、筒子まみれでの萬子の待ち。
・中と發を鳴いたあとでの白での待ち。
などである。つまり、役が予想しやすい待ちだ。
これを逆手に取れば、ロンしやすい手牌ということになる。
つまり、
・筋でのフリテンにならないシャンポン待ち
・一枚切れた字牌を含んだシャンポン待ち
・字牌しか切っていない河からのリーチの多面待ち
などになる。このうち、技術でなんとかなるのが筋を使った待ち、ということになるだろう。
また、相手が序盤から持っていなさそうな牌で待つことも肝要だ。そもそもメンツに使われていては、1億年待ってもアガることはできない。
つまり、タンヤオが流行している環境ならばヤオチュウ牌が早く捨てられる=捨てられていないなら待つ価値がある、ということになるし、逆の環境であればまた逆が然りである。
そして、もうひとつ勝つために必要な手段がある。
・ダメそうなときにはオリる
相手の方が明らかにアガリまで早そうなとき、放銃するのが最も損失が大きい。したがって、引き際を見極め、引きたいときに引けるようにする努力が必要である。
「引きたいときに引けるようにする」とはどういうことか。
これはすなわち、「他の人間とは違うメンツ、違う待ちで上がろうとする」ことに他ならない。
このことはロンしやすい手牌を作ることと重複する。つまり、誰も待ちではなさそうな牌であらかじめ手を固めておくのが「最大の攻撃であり、防御である」ということになる。
こう考えると、ひとつの共通点が見えてくる。
麻雀って、MTGのドラフトと一緒じゃね?
MTGにおけるドラフトという競技は、8人で卓を囲み、その場で剥いたパックから1枚ずつカードをドラフトしていき、デッキを作る。
MTGには5色のマナが存在する関係上、ある一色を使いたい人間が少なければ少ないほど、多くの強力なカードを取れる可能性が上がる。
これは、麻雀における「役のメタゲーム」を読むということとそっくりである。
そして、攻められるところは攻め、引くべきだと判断したら引く、その判断力を養えばいいということになる。
麻雀って、Apex Legendsじゃね?
以上です。ありがとうございました。