乗るしかねえ、ラブコメのビッグウェーブに。
基本的に、質が良いものであれば好きな人が増える。当たり前の話である。
とすると、本当に好きなものというのは「多少質が悪くとも好んでしまうもの」なのではないだろうか?
日本語の先人は偉大である。良し悪しが分かることを「目が効く」と表現し、一方でどうしようもなく好んでしまうことを「目がない」と言い表した。
であれば。目が効かないものこそ、本当に好きなものなのだろう。
僕はラブコメに目がない。
目がないということに気がついたのは最近である。
そう考えてみると、昔からエヴァとかの雑な学園パロディでも美味しくいただけるし、涼宮ハルヒちゃんの憂鬱は本編より熱心に買い漁っていた。
なぜ今まで気が付かなかったのかという話ではある。
野崎くんをはじめ、コメディの割合がラブを超えているものであれば大概なんでもいただけるようなのである。
しかしラブコメには波がある。ラブコメしか読みたくない時期と、ラブコメ以外しか読みたくない時期があるのである。
この2020年1月。久々のラブコメの波が来た。
実に去年かぐや様にドハマリして以来なので、半年ぶりである。
普段は自転車で15分か、そこから電車で10分の場所に通っているので、退屈な電車通勤とは無縁な僕であるが、この時期はそうはいかない。
激励という任務があるのである。塾講師特有の、受験校まで受験生を応援しに行くやつである。
必然、それなりに遠い学校へも行くことになる。
すると。
電車に揺られ暇な時間が出来る。
しかし俺はもう怖くない。iPadを手に入れたからである。
こいつをiPhoneでテザリングしてやれば、kindle読み放題という寸法である。
そして僕は「僕の心のヤバイやつ」を買った。
これがまあ~、面白い。
ラブコメはNLであれば基本的に、男女がくっつくまでのくっつくかくっつかないかという微妙な距離感のときが一番楽しいのは当然である。
そうすると必然、好きだという心理描写は極力引き伸ばされる。
そこを上手いこと告らせたいに持っていったのがかぐや様だった。告らせたいは死んだけど。
僕ヤバはすごい。低身長陰キャ男と小学生みたいな高身長美形女にすることで、好きだという心理描写をごく早い段階でこなしつつ、自己肯定感の低さから告白をディレイさせている。
この現代とは思えない、中世の身分違いの恋のような設定を上手く使いこなしている手腕には脱帽した。
一歩間違えば、主人公への自己投影で暗くなりそうな設定だが、そういった部分を暗くしすぎず、共感しやすい部分で共感させる。
そして山田がダメな女すぎる。
この面白さは到底文字にできないので、是非読んでほしい。